自分が嫌いのまま生きていくこと
わたしは小さい頃から自分のことが嫌いでした。
自分として存在しているのに、心は自分じゃないような感覚に陥ることが何度もありました。
思い当たることといえば、幼少期。
わたしの両親は仲が悪く、母は父にとても気を遣っていました。父を怒らせないように、機嫌が悪くならないように。
母方の祖父母の家に引っ越して暮らしていた時、父の態度の悪さはさらにエスカレートしていきました。
大好きなおじいちゃんとおばあちゃんが、父の機嫌のせいで傷ついてしまう。どうか父を怒らせないように、わたしが場の空気を明るくしなくちゃ。
必死に面白いことを言ってみたり、おちゃらけてみたり、父の顔色を伺いながら過ごしていました。
そしていつしか、相手の顔色を見ながら生きていくことが当たり前になって、相手の機嫌が悪くなるのがものすごく怖くて、相手を怒らせてしまったら自分のせいだと思うようになりました。
場の空気を読むことに慣れたせいで、本当の自分がどれなのか分からなくなりました。
今となっては父も性格が丸くなり、家族みんなでよく旅行に行くくらい仲良くなりましたが
いまでも時々、父の顔色を伺っています。
小さい時に身についたことは、大人になっても消えないんだなと改めて思います。
育った環境のせいにはしたくないけれど
自分として存在していたいのに、自分の外見も中身もが大嫌いで仕方ないです。
自分がよく分からないから
恋愛だってできない。
仕事も、人間関係の構築も上手くできない。
私ってどう見られてるのかな。
こう見られたいという自分を演じてるような気がして、でもそれは自分じゃないみたいで、よく分かりません。
自分なんて消えちゃえばいいのにと思うのに、この世に存在はしていたい。
矛盾だらけの感情がぐちゃぐちゃで、
本当に生きづらいです。